2013年1月22日火曜日

「丸ノ内線と銀座線以外は捨てるべし」 vol.36





 

-東京ちゃん(とうきょうちゃん、英語表記:Tokyo chan)は、
 東京に行ってええかっこをしている人に対するジェラシーと
 地元を捨てたことに対する軽蔑を込めた上京した人のことを称する関西弁である。-
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2003年、
東京に飛ばされてきた際


東京が、
いやで、

ホンマ、
イヤで、

「Meets」という
京阪神Lマガジン社発行の
関西フリークのための
リージョナルマガジン

(↓リンク)


ヒコーキに乗る前に買って
さみしい東京暮らしを紛らわせていた。




↓ちなみに最新号はこれ
Meetsの特集は毎回切れ味鋭く



「七輪はシェアして焼いてや!
 の激ウマ焼肉店」

「モーニングは
 ビールと串カツ」

「フランス人がトレビアンを
 連発する隠れビストロ」

「築地市場には荷揚げ拒否の魚!
 が食べられる粋な和食屋」

「丹波のイノシシが美味いのは
   ええどんぐり
 食べてるからやろね」

「領収書、
 金額のみでよかったですよねー
   というてくれる店」

「東京のアホには絶対
 教えるな!特集」

(↑全部イメージ)




などの
斬新な企画でディープな関西人を
虜にする「Meets」!


大好きだー!!


↓名作タイトル






その、
Meetsリージョナル内
(たしか2003年か、2004年くらい)に
関西人が東京に出張した際に
参考になるというテーマの
「東京出張」っていうコラムが
はじまった。

(のちにこのコラムは1冊の
ムック本となり売り出され



















まじか!
ええやん!!
気持ちわかってくれてるやん!!!

と全速力でジュンク堂に買いに行って
超ワクワクしながら読んだのを思い出す。)


なになに、

「上京グルメ その一
    そばと天ぷらはアリ。
    ただし、
 店員にボケはナシ。」


「白い葱を食べることは、
    踏み絵を踏むことと同義」


「佃島の佃煮職人は、
   大阪の佃から徳川家康に
   連れさられて
 泣く泣くはじめた商売」


「タクシーの運転手への世間話は
    厳禁。
 →がっかりするだけ
    道順は客側が必ず事前に
  予習しておくべし」


「客先におけるマナー
    阪神タイガースの話題は
    絶対スベる!
    帰っていつもの居酒屋で」

(↑完全イメージ)


など、
東京ライフをおくる際の
超ためになる
関西人の
関西人による
関西人のための
情報テンコ盛りの
スペシャル本!


完全保存版にしたと思って
会社の本棚を探してみたけど
ありませんでした!

わけ、
なんです
けれども。


その本の中にいまだに覚えている
忘れられないアドバイスがっ!


「東京の地下鉄は迷路!
    迷える子羊たちよ、
    丸ノ内線と銀座線以外は
   捨てるべし。
    駅から先、タクシーを使えば
    ほとんど事足りるはず。」


っていう
男前な名言が書かれでいた。
(↑たぶん、こんな感じ)


乗換案内アプリや
Googleマップが使い放題の
便利時代ではなかったあの頃、「東京出張」の掟を
ホンマに信じて赤と黄色のラインの電車以外は軽視していた


けど、

やっぱりすごいぜ

丸ノ内線!


みて
今朝の通勤時に撮ってみた
午前8時代のこのダイヤ!!















枠をはみ出した
ダイヤ
  計31本!

2分に1本超えとるがな
しかし。


これより
タイトなスケジュールで走ってる
電車があったら教えてほしいぜっ!


デケイド東京(10年住んでみて)
雨や雪の自然災害が起こると
すぐに遅れる東京の電車網を慮り
Meetsのアドバイスは
やはり正しかったと
思った次第なのでありました。



ちなみに
Meetsリージョナルは、
神保町の三省堂書店にてお買い求めいただけます。



2013年1月16日水曜日

黄門さまの正体。

※文科省非公認
三度の飯よりも歴史が好きな、本の虫ならぬ歴史の虫。
勝手な解釈で、歴史をカジュアルにお届けします。
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少し更新が滞っていましたが、
2013年一発目ということで、
今回おめでたく取り上げるのはこの方!

水戸光圀。

そうです。
みなさんよくご存知、水戸の黄門さまです。

          (イメージ:おそらくほとんどの人がこのイメージですよね)

あまり知られていませんが、
若かりし黄門さまは、眉目秀麗・文武両道。

つまり、イケメンで、ムキムキの肉体派で、
博学で、歌も名人という文化人でもあった、
知る人ぞ知る"水戸のスーパー御曹司”だったそうです。

遊郭の女性や町娘たち、
訪問先のお武家の娘さんや女中たちの間でさえも、
キャーキャー言われていたとか・・・。


そんな黄門さまですが、
「何となく知っている歴史上の人物BEST10」に入る通り、
実際の正体はあまり知られておりません。
(時代劇のイメージが強すぎるせいか・・・)


このお方、 あの徳川家康の孫であり、
水戸藩二代目藩主という
とてもお偉い方なのです。


           (肖像画:水戸藩二代目藩主 水戸光圀公)

時代劇で「これが眼に入らぬか!」という
決めゼリフがありますが、
身分の高さはまぎれもなく超一流なわけです。
           (泣く子もだまる、葵御紋の印籠だぜ〜!)


では、みなさんがよく知っているように、
この黄門さまは、本当に
助さん・角さんを引き連れて、
全国行脚に出ていたのでしょうか。



(泣く子もだまる、国民的トライアングルだぜ〜!)

答えは、NO!


史実では、
黄門さまは関東圏から出たことはない、
となっています。


時代劇のあのイメージ。
黄門さまが行った文化事業のせいだと考えられています。

さきほど述べた通り、黄門さまは子供の頃から学問好き。

晩年になり、「大日本史」という
日本の歴史を編纂する大事業に着手します。




(「大日本史編纂」は、藩財政の3分の1を使う大事業)

この歴史書をつくる際、資料を集めるために、
黄門さまの使者を全国につかわしたそうです。

そのことが、いつのまにか、
「黄門さまの日本漫遊記」となり、
歌舞伎や講談の演目として広がり、
現代では時代劇になっているというわけです。

ちなみに、おなじみの助さん・角さんは、
この事業に携わっていた学者のことらしいです。


さらに、黄門さまについては、
いくつかのエピソードがあります。


知識人として知られていただけでなく、
好奇心旺盛な人物として知られており、
日本で、はじめてラーメンを食べた人であり、
チーズを食べた人であり、牛乳を飲んだ人でもあります。

他にも、当時「生類憐れみの令」が出ていたのですが、
黄門さまはそんなことは無視して、
大好きな牛肉や豚肉を食べ続けていたそうです。

      (ヤンチャなチョイ悪オジイさんだったわけです)

以上、
ざっと黄門さまについて書きましたが、
約300年たった今でも、
ほとんどの人が“黄門さま”という名前は知っています。


水戸の御老公“黄門さま”は、
時代を越えて愛され続けているようです。


黄門さまのことをもっと知りたいならこの本→
若かりし黄門さまのイケてる感がよくわかります!