2013年1月16日水曜日

黄門さまの正体。

※文科省非公認
三度の飯よりも歴史が好きな、本の虫ならぬ歴史の虫。
勝手な解釈で、歴史をカジュアルにお届けします。
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少し更新が滞っていましたが、
2013年一発目ということで、
今回おめでたく取り上げるのはこの方!

水戸光圀。

そうです。
みなさんよくご存知、水戸の黄門さまです。

          (イメージ:おそらくほとんどの人がこのイメージですよね)

あまり知られていませんが、
若かりし黄門さまは、眉目秀麗・文武両道。

つまり、イケメンで、ムキムキの肉体派で、
博学で、歌も名人という文化人でもあった、
知る人ぞ知る"水戸のスーパー御曹司”だったそうです。

遊郭の女性や町娘たち、
訪問先のお武家の娘さんや女中たちの間でさえも、
キャーキャー言われていたとか・・・。


そんな黄門さまですが、
「何となく知っている歴史上の人物BEST10」に入る通り、
実際の正体はあまり知られておりません。
(時代劇のイメージが強すぎるせいか・・・)


このお方、 あの徳川家康の孫であり、
水戸藩二代目藩主という
とてもお偉い方なのです。


           (肖像画:水戸藩二代目藩主 水戸光圀公)

時代劇で「これが眼に入らぬか!」という
決めゼリフがありますが、
身分の高さはまぎれもなく超一流なわけです。
           (泣く子もだまる、葵御紋の印籠だぜ〜!)


では、みなさんがよく知っているように、
この黄門さまは、本当に
助さん・角さんを引き連れて、
全国行脚に出ていたのでしょうか。



(泣く子もだまる、国民的トライアングルだぜ〜!)

答えは、NO!


史実では、
黄門さまは関東圏から出たことはない、
となっています。


時代劇のあのイメージ。
黄門さまが行った文化事業のせいだと考えられています。

さきほど述べた通り、黄門さまは子供の頃から学問好き。

晩年になり、「大日本史」という
日本の歴史を編纂する大事業に着手します。




(「大日本史編纂」は、藩財政の3分の1を使う大事業)

この歴史書をつくる際、資料を集めるために、
黄門さまの使者を全国につかわしたそうです。

そのことが、いつのまにか、
「黄門さまの日本漫遊記」となり、
歌舞伎や講談の演目として広がり、
現代では時代劇になっているというわけです。

ちなみに、おなじみの助さん・角さんは、
この事業に携わっていた学者のことらしいです。


さらに、黄門さまについては、
いくつかのエピソードがあります。


知識人として知られていただけでなく、
好奇心旺盛な人物として知られており、
日本で、はじめてラーメンを食べた人であり、
チーズを食べた人であり、牛乳を飲んだ人でもあります。

他にも、当時「生類憐れみの令」が出ていたのですが、
黄門さまはそんなことは無視して、
大好きな牛肉や豚肉を食べ続けていたそうです。

      (ヤンチャなチョイ悪オジイさんだったわけです)

以上、
ざっと黄門さまについて書きましたが、
約300年たった今でも、
ほとんどの人が“黄門さま”という名前は知っています。


水戸の御老公“黄門さま”は、
時代を越えて愛され続けているようです。


黄門さまのことをもっと知りたいならこの本→
若かりし黄門さまのイケてる感がよくわかります!

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