2012年6月22日金曜日

『平清盛②』保元のLAN

※文科省非公認
三度の飯よりも歴史が好きな、本の虫ならぬ歴史の虫。
勝手な解釈で、歴史をカジュアルにお届けします。
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更新がつい遅れがちになってしまい、
どうもいかんな~と思う今日この頃です。
(一週間遅れてます・・・すみません)
前々回に取り上げました「平清盛」。
あの頃は、NHK大河ドラマが、
まさかこんなありさまになっているとは想像もしませんでした・・・
(個人的には、めちゃくちゃおもしろいのですが)

『平清盛・・・ついに視聴率1ケタ!』
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2012/06/05/0005110647.shtml

というわけで、応援という意を込めて、
引き続き「平清盛② 保元のLANって」をお送りします!


まず、平氏・源氏を語る上で必ず通るできごと。
それが、「保元の乱」&「平治の乱」
               (保元合戦図屏風)
学校で習った勉強では、
●1156年 イイコロ(いい頃)起こった、保元の乱。
●1159年 ヒトビトゴクロウ(人々ご苦労)さん、平治の乱。
といった、みょうな語呂合わせで、無理矢理覚えたりもしましたが、
こうやって覚えないといけないほど、必ずテストに出る歴史できごとのひとつです。
とは言え、何が起きたの?とイマイチよく分かっていないのも事実。
(このあたりの難解さが、低視聴率にもつながっているような気が)

という訳で、ぼくの知識の範囲で、
これらのできごとをとてもカンタンに解説したいと思います!
(第一弾「保元のLAN、第二弾「平治のLAN」)
では、本題に入っていきます。
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王家のお家騒動が発端に!
時代の有力者たちが一族を分裂しての争いに!
「保元の乱」


発端は王家の兄弟の問題、兄:崇徳上皇と弟:後白河天皇の争いなのです。
そもそも、前代の天皇が崩御された時、
鳥羽上皇(この乱で争うことになった兄弟の父親)のもと、
皇位継続問題をなかば強引に「強行突破で法案成立!」てな具合で、
天皇の座についたのが“与党サイド”の天皇方。
(与党である後白河天皇)
対して、
かつて、天皇の座から退位させられて不満たっぷりの中、
院政を利用して政局への返り咲きを図っていた“野党サイド”の上皇方。
(野党である崇徳上皇)
という構造がありました。
そして、鳥羽上皇が亡くなったことがきっかけとなります。
(ふたりの父親である鳥羽上皇)
疑惑の皇位継承問題の仕掛人がいなくなったということで、
野党である上皇方がふたたび主権を取り戻そうと動きはじめます。


与党である天皇方は、この野党の疑わしき動きに対して、
「やつらに謀反の疑いあり!」と言いがかりをつけた訳ですね。
(革命となるか謀反となるかは、歴史上いつも結果次第ですが)


そして、さらに、
当時の有力者たち(貴族、武家たち)も、これら王家のどちらにつくかで大分裂。
(もともと分裂しかかっていたこともあり)


一族が、突然、敵味方に分かれて戦うという悲劇の乱へとなっていくのです。


これらの対立構造を図式にすると、こんな感じ。


     (与党)      (野党)
【王家】 後白河天皇(兄)vs 崇徳上皇(弟)
【藤原氏】藤原忠通(兄) vs 藤原頼長 (弟)
【平氏】 平清盛  (甥)vs 平忠正 (叔父)
【源氏】 源義朝  (子)vs 源為義 (父)

まさに、それぞれの身分において、一族同士が分裂しての戦いとなったわけです。
(↑藤原家 兄:忠通 vs 弟:頼長)
(↑平氏 甥:清盛 vs 叔父:忠正)
(↑源氏 子:義朝 vs 父:為義)
一族の血を絶やさないために、
敢えて敵味方に分かれどちらかが生き残るようにしたこと。


仕えてきた上司である殿同士が対立したことにより、
その部下は親子分かれて闘わなければならなかったこと。


このあたりのお涙ちょうだい的な演出は、大河ドラマでうまくやっていました。
こんなことは、学校で習う歴史では、ほとんど教えてもらっていませんよね。

「いい頃起こった(1156年)」のように、
単純な語呂合わせでは済ませられない、
悲劇的なできごとであったことがわかりますね。

以上。「保元の乱」の経緯を、ざっと振り返ってみたわけですが、

歴史の必須問題として覚えなければいけないほど、
この乱のどこに、そんなに歴史的価値があったのか?
ということです・・・(やっと核心にせまれます)


この乱がもたらしたもの、それは、
勝ち負けを決めるのは、結局、
武士の働きによるものだったいうことなのです。
(実際戦っているのは武士だから、そりゃそうなるわけです)


これこそが、きょうの
なのです!!!
つまり、
王家や貴族がとりしきっていた政治や権力に、
武士の力(武力)が必要とされてきた!
ということ。


要するに、この乱のおかげで、
武士の身分が上がることになったのです。



これ以降の時代(すべてとは言い切れませんが)、
武士中心の世の中へと変わっていくわけですね。
(鎌倉時代、戦国時代、江戸時代をみればそうですよね)


それまでは、むしろ、
武士は野蛮人とされ見下されていたくらいですから、
これは大きな変革となったわけなのです


という訳で、長々となりましたが、
第一弾「保元の乱」については、この辺りで終わります。

次回「平治の乱」へと続きます。


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