2010年7月26日月曜日

「のぼうの城」の城










(今回は歴史ネタに挑戦。)


時は戦国末期。

武蔵国の端にある小大名・成田氏の居城
「忍城」を、
知将・石田三成率いる
2万数千の軍勢が包囲した。



折しも城主・氏長と兵力の大半は、
遠く小田原に遠征中。

残された戦力は、百姓も合わせても2千名ほど。

しかも、留守を預かる城代は、
でく「のぼう」と呼ばれて
戦には縁遠い、
城主の従兄・長親。



派手好きな三成は、城の周りをぐるりと土手で
囲って
水攻めのつもりのようだが…。

完全な死亡フラグの中で、
のぼう様と城兵、そして氏長の美しい
娘・甲斐姫の
命運やいかに!?


…という筋書きで、全国的には無名の
武将の特異な活躍を描き、
直木賞や本屋大賞にもノミネート

された「のぼうの城」(著:和田竜)














村萬斎さん主演で、来年には映画化されるとか。



私、以前「埼玉に戦国の英雄はいない」と
書いたのですが…




一部ではメジャーな戦国武将になって
いたのですね、
のぼう様…すみません。

(ローカルではそこそこ有名な人。)



そのお詫び参りを含めて、今回は
一路「のぼうの城」の舞台へ。


***


蒸気機関車で有名な秩父鉄道の、
「行田市」駅にて。


暑い、暑いぞ…そりゃそうか。
お隣は日本最高気温の街・熊谷市。
(=夏のビールを日本いち美味しく感じる街)


はやく涼しいところに行かないと、
自分が「のぼう」になりそう…。


駅前の交番で道を聞くと、
徒歩で10分、バスだと15分
(途中で道が混むらしい…そんなに?)
とのことなので、歩きはじめると、、


本当に、すかさずという感じで
「本丸」という地名の表札。



そのまんまお城という感じの
名前だなーと思って、

道の反対側を見上げると、




池…石垣…白い壁…瓦屋根。






前置きの長さの割りに、

もうですか?
























もうでした。





商店街の端に
、ボボンと城が現れます。

(最寄駅からの距離では、江戸・大阪城の次
くらいに近いのではないかと。)



実際には20年くらい前に再建された
櫓らしいのですが、
何ともインスタントにできる時代体験。


城というには小さいものの、
石垣はスキッと、屋根の反りはキリッと
なかなかハンサムなつくり。




















この辺りは、昔、利根川が
しょっちゅう洪水を起こしていたので、
「水塚」といって、地盤が不安定な土地に
高い建物をつくる技術が発達。


「浮き城」という別称が表すように、
だから、三成が水攻めに出たときも
徹底抗戦することができたのではない
かと思うのです。




小さい城を舞台に、
大きな戦をしたのぼう様。















(櫓の他にも、お城らしく整備されていました。)



この戦いの後は、浮いたり沈んだりの人生を
送ったらしいのですが、一流の武将として
知られるようになったということで、
長親、もって瞑すべし。


***


「のぼうの城」が意外と簡単に見つかったので、
相手方の三成が本陣を築いた丸墓山にも
向かってみることに。


この山、「墓」とつくだけあって、
正体は日本最大の円形古墳。

「日本最大」とつくと、
いつもは心躍るのですが、

暑い中歩いた後に登るのはちょっとキツい…。
















(丸墓山の頂上から。平野なので遠くまで見えます。
古墳については、また別の機会に語ります!)



ものの資料によれば、この古墳を
中心にして
全長約30kmの土手で
城を囲ったらしいのですが、、



現地に行ってみると、
本当にそんなことできたの?


と、ちょっと疑いたくなる。



城まで少し距離があるし、
水を取り込んだ利根川まではもっと遠い。
(現代人の感覚で。)


あの時代のエネルギーが、
それを
可能にしていたのかも
しれません。



***



と、こんな感じで、攻める側・守る側
両方の視点で「のぼうの城」の舞台を
めぐることができる埼玉県行田市。


ゼリーフライというおからのコロッケ?が
名物らしく、市内のあちらこちらで
揚げたてが売られております。
(「ゼリー」は「銭」から来たらしい。)


素朴な味でヘルシーなので、
小腹が減ったときにお試しあれ。

(揚げたてはおいしい。)

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