
※文科省非公認
三度の飯よりも歴史が好きな、本の虫ならぬ歴史の虫。
勝手な解釈で、歴史をカジュアルにお届けします。
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2012年の大河ドラマ、『平清盛』。

(ポスターのArtDirectionは水口克夫!どうりでカッコイイ)
もうすでにはじまって二ヶ月ほど経ちますが、かなりイイですね~。
ここ数年の大河ドラマの中でもかなりできがイイのではないでしょうか。
(※残念なことに、視聴率はここ数年の中で最低に近いですが・・・)

さて、そんな『平清盛』にテーマをあてたいと思います。
琵琶法師になったつもりで、数回に分けてお届けしていく予定です!
まずは、『平清盛』といえばこの言葉。
ビッグマウスな感じを連想する人が多いはず。
「平氏にあらずんば人にあらず。」
↓
「平氏一門じゃない人間なんて、もはや人間以下だよね。」
ということですが・・・
いきなり間違ったイメージを持たれています!
実はこれ、平清盛が言ったのではなく、
平時忠が言ったとされています。
この人は平清盛の妻の弟。大河ドラマでは森田剛が演じております。
(いかにも言ってしまいそうなキャラ?!)
それくらい平氏一門が栄え、権力を持っていたということのようです。
「朕は国家なり(By ルイ14世)」に並ぶ傲慢な名セリフです。
つまり、
大方の人は、この言葉を連想してしまうくらい、
『平清盛』には暴君・独裁者としてのイメージが強いわけです。
たとえば、清盛が起こした有名な悪事のひとつ。
東大寺を焼き討ち(南都焼討)したという事件ですが、

・平和的に迫った清盛に対して抵抗勢力が強硬に出たので討伐せざるを得なかったこと
・強風が吹いて予想以上に延焼し東大寺にまで火が達してしまったこと
などが背景としてあるようで、
清盛が一方的に焼き払ったということではないようです。
しかし、よく語られるのは、
「清盛が東大寺焼き討ち!もう誰にも止められない非情な男!」
と言った具合に、週刊誌のゴシップ記事の如く、
悪人として語られてしまうことが多いのです。
(清盛は出家しており深い仏教信仰心があったはずで焼き払うことなんてしなかったはずですが・・・)

(↑浮世絵などに描かれる清盛。いかにも悪そうに描かれることが多い)
というわけで、どんどん大悪人のようなイメージになってしまうのですね。
そこで、あらためて『平清盛』を考えてみます。
この『平清盛』という男。
当時世の中を牛耳っていた貴族社会の中に乗り込み、
世の中を一気に武士社会へと変えた平家一門の棟梁。
つまり、平安末期に現れた新進気鋭の一門「平家」の
“ゴッドファーザー”というべき存在なのです!

(左:晩年の出家した清盛像 右:イタリアのゴッドファーザー)
どことなく雰囲気が似ているような・・・。
この当時は武士と言うものの身分はまだまだ低く、
皇族や貴族の身辺警護をするボディガードのような野蛮人的存在でした。
そんな武士の一族を「武力・経済力・政治力」によって、
身分を昇格させていったニュータイプの権力者だったのです。
(父:忠盛の功績もかなり大きいですが)
日宋貿易を積極的に取り組んだり、
身分の低い者や海賊たちとつき合ったり、
怨霊や祟りが信じられていた時代に迷信を気にしない行動をするなど、
先進的な思想を持ち合わせた人物であった清盛。
いろんな意味で、日本初の革命児でした。

(↑まさにこんな感じ)
そんな男を、
「異端児と見るか。それとも、先駆者と見るか。」
結論が正しいかどうかは別として、
今度の大河ドラマでは乱世を生き抜く革命児として描かれています。
『平清盛』。
まだまだ語るべきことはたくさんありますが、
ボクも大河ドラマをみながらただ今勉強中でありまして、
ひとまず今日はこのへんで、おしまい。次回へとつづく・・・
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