
………。
いきなりどデカく掲げてしまいました。
まじめか!ちょっとまじめかも!
椹木野衣さんは、さわらぎのいさんと読みます。
多摩美術大学准教授で美術評論家です。
ケーアイしてるんです、というほど著書読んでないし
椹木さんを平たく説明するのは難しいんですが
とにかくわたしでもわかる評論を書いてくださる人です。(説明薄)
展覧会レビューを書くにあたってどうしても冒頭に載せたい言葉でした。。
わたしはアート作品を見るのが好きです。
こんなこと堂々と言ったら、大抵ややこしやな扱いを受けます。
気持ちはわかります。
もし合コンの席で「俺、アート好きなんだよねえ。」と
のっけから宣う男性がいたら、
わたしだって警戒してしまいます。
そもそも「アート」てなんなんでしょう。
どっからどこまで?
いやもう、実はぜんぜん分からないんです。
「好き」とは言うものの、専門的な知識などほとんどないんです。マジで。
じゃあ、何を「アート」と思って「好き」なんでしょか。
もともと文才がないのにこれを文字に現すのは、いごっそう困難です。
でも頑張ることにしました。
危ない橋ですが渡ることにしました。
苦肉の策として、ある展覧会の写真から説明しようと思います。
まずは、下の展示の様子をごらんください。。
いったいどういう状況でしょう。
これはホンモノの人間の体の一部が枯山水の石にみたてられているんです。
つまり砂利から出ている部分がお尻だったり髪の毛だったり足だったりしています。
第1回目からいきなり衝撃的な写真をのせてしまいました。
倫理違反でこのBlogが閉鎖になったらどうしよう。さーせん!
でもこの衝撃がわたしには「アート」なんです。(皆さん戻ってきて下さい)
これは世界的に有名なギャラリスト(美術商)小山登美夫さんのギャラリーで行われたオーストリアのアーティスト集団『ジェラティン』によるパフォーマンスです。
こんな情景生まれて初めて見ました。
もちろん生きている人の一部分なので、
よく見るとひくひく動いているんです。
張りつめる緊張感、簡素な構図の美しさ。
人体石庭の前に用意された縁側に座って眺めていると、
本当の枯山水を眺めていた時とは真反対の、心のざわつきを感じたすごい体験でした。
つまり、こういった驚きの体験をさせてくれるもの、
「今までに見たことない、感じたことないモノ」で
ココロ満たしてくれる存在が、あたいの「アート」やの。
そいで、そういった類いの「アート」を「現代アート」と思ってんの。
ということなんです。
わたしの善し悪しの判断は、「なんかいい」「なんかいや」。
(この”なんか”に何が含まれてたんやろ、とは後で考えますが。)
この展示の場合、「なんかよかった」んですねえ。おしりが、じゃないですよ。
上に掲げた椹木さんの言葉は、
そんなぺらっぺらのわたしの審美眼を、力強く補助してくれる ありがたい言葉でした。
もちろん『ジェラティン』の作品を受け入れられない人もいるでしょう。
「アート」の感じ方はひとそれぞれ。正解はありません。
それでも肯定する勇気を持つこと、
鑑賞者も常に「アート」が進化する上で重要な役割であること、を
あらためてつよく、心に留めるようになりました。
ありがとう椹木さん、
こんどブックオフで見かけたら本買ってみます…!
以来勇気100%、どんな作品にも物怖じすることなく、
がっぷり四つで向き合えるようになりました。
そしてなるべく新しい作品を見るよう心がけています。
たいがいの週末は、「アートの可能性を広げ行脚」で、
あちこちのギャラリー、美術館を徘徊です。
あんなパンク作品もあるし、なまらエキサイティング!
ばっちこい現代アート!
…ということで
わたしの唯一の趣味である「アート鑑賞」。
出会った作品の感想を冒頭の言葉を言い訳に、できるだけ率直に語り
不可解に思われがちな(今回でさらに思われてしまったか不安)
「アート」の現状を詳しくレポートしてゆきたいと思います。
ルールはひとつだけ。
◎故人の作品は批評しない。
(よほど無名な方で、よほどすばらしいと思わない限り。)
次回から2010年見た展示のレポートを発表してきます。
今回紹介した作品よりはもうちょっと衝撃度すくなめですから!
特集:現代アートの「2009 >> 2010」ー2009年=ゼロ年代回顧 by 椹木野衣
より引用しました。
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